パグとの生活 ラジオ 映画 音楽などなどの雑感

40代で自営業者になってパグとラジオで一日が暮れる男のブログ

パグと暮らす①

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以前、うちは猫を飼っていた

20年近く長生きをしてくれて特に妻に懐いていた

猫のりょうたが死んだあと子供のいない我が家は妻と自分だけになった

妻は愛嬌のあるパグを飼いたいとずっといっていた

ふと時間つぶしに立ち寄ったペットショップでけんは売れ残っていた

妻は一度うちに帰って決心が変わらなかったらけんを飼いたいといってもう一度店にいって気持ちは変わらずけんを飼うことにした

ペット産業の事、繁殖のさせ方、そして飼い主が見つからず売れ残った動物たちのその後をラジオやネットでその後知った

ペットショップを利用したことをとても後悔している 

保護犬、保護猫の活動をあとから知る

コロナ禍の時代、経済的に動物を飼えなくなったケース、飼い主が亡くなって動物が取り残されたケース 保護犬、保護猫等行き場のなくなった動物が増えているようだ

自分の年齢もあるがもう一度動物を飼うことがあったらそういう団体にいって探したいと思う

ただ、けんと出会ったことはありきたりの表現だが自分にとってとてもよかったと思っている 自営になって取引先と妻以外ほとんど話をすることがない一日を過ごしていた自分にとってけんは唯一の話し相手だったかもしれない

ステイホーム中でもラジオを聴きながらけんとごろごろしているとメンタルはそれほどやられなかった

自分のような零細企業でもコロナの影響は大きく仕事は減ったが今まで働きすぎたかもしれないし我儘なけんとしばらくゆっくりした時間を過ごしたいと思っている

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ラジオ3 ラジオから流れてきた松田聖子「風は秋色」を聴きながらの雑感

シーズンなのだろうか平日午前中のAMラジオから松田聖子「風は秋色」が流れてきた

youtu.be

担当していた女子アナは20代後半から30代

松田聖子がアイドルとしての全盛期をリアルタイムでは知らないはずだ

だが彼女は還暦間近の松田聖子を「聖子ちゃん」と呼びアイドルの神様のように扱う

松田聖子はまだアイドル界のビッグなアイコンなのかもしれない

ほぼ同世代の自分が松田聖子について思うことは

松田聖子は同窓会にこなくても同窓会の話題を独り占めできるタイプの女」

「〇〇再婚したって知ってる?」

「かなり年上の弁護士のだったっけ?」

「それは前の人 その前は医者で同棲だけしてすぐ分かれて今度はアメリカ人のIT企業の重役 ハーフの子供作るっていってたわ」

その行動力を武勇伝として周りから語られ、笑いながら呆れられ、羨ましがられ場の話題をさらうそんなタイプ

子供の教育、家のローン、夫の会社の評価、近所付き合いなど狭い社会に埋没して暮らしている普通の主婦のグループとは別の世界に行くタイプ

そして「松田聖子のエネルギーは外に向かい、そして欲望への握力が強い」

仕事、金、男、ステータス 家庭 全てを欲しがる

少しでも鮮度が落ちたり瑕疵があるとすぐに廃棄し新しいものを手に入れる

内側にエネルギーを向け自分の身を焼き尽くす中森明菜とは対照的な気がする

自分は松田聖子とはほぼ同世代でクラスの女の子はみんな聖子ちゃんカットにしていた

その後大学にあがると川島なお美のようなレイヤーの子だらけになったけど

その頃男女雇用機会均等法が導入され表面的に女性の社会進出もいわれはじめたが実際は女性のスーツの肩パットがごつくなったくらいで社会的な地位はまだ男性とは程遠いもんだった(今でも同じでは全くない)

松田聖子のウソ泣きやぶりっ子(ださい表現)という「媚び」はそういった時代を泳ぎ切る一つの手法だと思う 

自身をプロデュースしていく行動の主体はプロダクションやレコード会社任せの芸能人とは異なり彼女本人だった気がする

松田聖子にはもう大きなコンサート会場で3デイズとか打つ動員力はないかもしれない

CDも売れる時代ではない

収益のあげ方も時代に応じ変化させただの懐メロ歌手では終わらない 

彼女は可処分所得の高い中高年齢層のコアなファンに一流ホテルで客単価の高いクリスマスディナーショーを提供し続ける

満足するファンは昔のよかった頃の自分を思い出し繰り返し足を運ぶ

これは客に時代をともに生きたと思わせるカリスマ性を持つ歌手にしかできない芸当

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すべて自分の思い込みで書いた感想です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画 エクソシスト

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ツイッターで映画の感想は140字以内に書くことはあるのだが「エクソシスト」についてはなかなかこの文字数では書けない気もするのでブログで書いてみた

この映画の公開当時、映画雑誌に「日本人はなぜエクソシストを見ても恐怖のあまり失神することがないのか」という記事があったのを記憶している

この映画はキリスト教の信仰や文化のなかで育った人間ではないとその本質的な恐怖は理解できない気がする 雑誌にもその点が指摘されていた

恐怖を感じるポイントが違う 

自分は両親がクリスチャンで今では年に一度イベントの時くらいしか教会には通わないがやはり影響は感じる 

冒頭のシーンから怖い 

最初のイラクの遺跡の発掘現場からあらわれる像 

これは普通の日本人はぱっと見たところ鳥のすごいのくらいにしか見えないと思うが異教を否定するキリスト教徒にとってあれは禍々しい悪魔そのもの

教会では異教という存在を否定していたように覚えている

日本で公開当時はリンダ・ブレアーが吐くシーンとか首が回るシーンなどが話題になったがそれは表面的な演出

家庭的な問題を抱えた神父が信仰に疑問を持つ場面、神父が命を落とす場面

映画を観ながらキリスト教への信仰の深さを試されるシーンが続く

エンタメでありながら信仰への踏み絵ともなっている気がした

1970年代のまだまだキリスト教文化に対してピュアだったアメリカ人はこぞって信仰の深さを他者に見せつけるためにも観劇中に失神したのではないか

オカルト映画というジャンルの元祖であり金字塔のようにいわれているがこの作品はとても深い宗教映画であると思う

自分の大学時代の善良な友人は子供の頃「エクソシスト」を話題のオカルト映画と思い鑑賞したのちキリスト教に興味を持ち熱心なクリスチャンになった

 

 

 

 

 

 

ラジオその2 タブレット純 音楽の黄金時代

自分はだいたい午前中から夕方くらいまでラジオを聞けるときは文化放送を聞いている(早朝の寺島アナの番組の枠が長くなってここのところTBSを聞き始めた)

タブ純さんについては文化放送のゴールデンラジオで話すのを聞く前はTVで「そんなことより~」とかいう地味なネタをやっている芸人さんという認識でしかなかった

 

ゴールデンラジオでタブ純さんの特異なキャラクターを知るにいたり興味が湧いた

特にグループサウンズを解説してくれた回は自分にとって脳が溶けるような感覚におそわれた神回だった

Rストーンズヤードバーズにあこがれてプロになりデビューしたのにやっている音楽はコミックソングのような企画物だったGSバンドの話など笑えた

マーケットに妥協し志を曲げて受けそうと思った曲をだしても売れなかったバンドの悲哀はなんかつんときた

その後の武田砂鉄さんのメタルロックとタブ純さんの昭和歌謡の対抗戦も最高だったな

レコードのぶつ切り方も好き

 

それきっかけで聞くようになったラジオ日本タブレット純 音楽の黄金時代」

そこには自分が知らない音楽 「昭和歌謡 の世界が広がっていた

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ときに能天気に明るく爽やかにときにどろどろとした情念渦巻く昭和歌謡・・それは未知で刺激的な音楽の領域だった

タブ純さんのトークは昔のラジオの深夜放送から若々しさと勢いを抜き自虐を加えたようなAMラジオ感で溢れていた

 

TVのひな壇でMCに振ってもらえるよう前へ前へ出て爪痕を残すといったことはタブ純さんはできないだろう バラエティー向きではない 自分で回すこともできない

衰退していくラジオこそタブ純さんのもつ哀愁、儚さの中に含まれる苦い笑いが十分発揮できるフィールドだと思う 

 

ポンコツで酒好き、機械に弱そうなどの生命力を感じさせないキャラクターも大竹まこと氏や桜木紫乃さんなどから庇護されプッシュされる要因だろうか

自分も本やCDを買って彼の生活を応援しなくてはと思わせる芸人さんである

(夜のペルシャ猫が見当たらない)

 

もう少し売れてもいいし、多分そこそこ動員力もあるような気がする

ラジオとコンサート活動で息長く活動を続けてほしい(アルコールは控えめにして)

YouTubeはもう少し工夫した方がいいと思う

 

このままでもいいかもしれないが遅咲きで紅白もいける可能性もあるかな

 

タブ純さんの競うことをやめた優しさが伝わる番組を聞くと土曜日の夕方ほっとした気分にもなる ずっと続いてほしい番組

 

 

 

 

 

 

 

ラジオ

一人で自営を始めたとき、事務所に一人きりだということは最初からわかっていたことだったが、人の声がないことをじわじわ実感してきた

会社員時代ときに人間関係は面倒で人の声なんか聞きたくないときも多かったが、全く聞こえないのは思ったよりずっと寂しいことに気づいた

ただ音楽を流しながら作業するより人の声が聞きたくなった

石川啄木

ふるさとの 訛(なまり)なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく

とは違うかもしれないが取引先の電話以外の人の声が聞きたくなった

ラジオはそんなとき非常にありがたかった

つまらない番組 くだらないコーナーでもとりあえず仕事をしながら聞いていた

真夜中、締め切りが迫った仕事をしているとき放送大学を聞いた

全く頭には入らなかった 

今でもあまり思い出せないが焼き畑農業のこととか誰がそんなこと研究しているんだというようなことを淡々と抑揚のない声で講師がラジオの向こう側で話していた

焦って仕事をしていたしそのくらいの話し方が耳障りでもなくちょうどよかったのかもしれない

とにかく深夜、誰もいない部屋で孤独からはなぜか解放された気がした

今はYouTubeやアマプラなど自分が自営を始めた頃よりずっと多くのコンテンツを流すメディア、アプリが増えた

日中、自分はまだラジオを聞いている ラジオは新しいメディアにたどり着けない行き場のない中高年層のオアシスかもしれない

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